なぜビールが好きなのか
括りたがり問題
最近会社の人々に、中央線とかサブカルとかキラキラ女子とか謎の揶揄をされる。だから何だという話だし別にいいんだけど、特に近頃はキラキラ括りがしつこいのでやめてくれと心の中では思ってる。
ポジティブに捉えるとほめてくれてるのやもしれず。しかし人間、単純な枠で括られるとそんなに良い気持ちはしないもの。自分は唯一無二の存在だと信じているのに、汎用的なカテゴリで一般化されてしまうなんて、プライドが許さない、とか。
とはいえ会社での話なので感情的になってしまっては面倒くさい。表では喜びも反論もせず全力で無視して話題を変えてるんだけど、ひとりひそかに反抗心でミクスチャーロック的な音楽をヘビーローテーションしている次第です。
The Mad Capsule Markets - Midi Surf - YouTube
あと、みなさん合コンネタがすきなようでよく俺エピソードを語ってくるんだけど。合コン経験数もほぼ無く、積極的に交友範囲広げたい欲もなく、可能な限りひっそりと生きていたい私は、例外にもれず「少なからず存在する合コン苦手なんですキャラ」という定番のレッテルを貼られ、「それはそれで案外ニーズがあるからいいんだよ」というつまらん励ましを受けた上に、「スドウさん、合コンいきましょう」と言われたので、「ヤデス」の3文字を発してから問答無用で話題を変えました。いったい彼らは私を何の枠にはめてどうしたいのだ、と憤慨しながらミクスチャーロックを聴きました。
Rage Against The Machine - Killing In The Name ...
世の中には、マーケティングフレームワークとか統計分析に基づく法則をはじめ、様々なケースに応用可能なメソッドが溢れている。特に会社というビジネスの場では、そういう一般化されたフレームワークとかや思考法を好む人が多い。だから論理的で要領の良いものの考え方をするんだけど、いかんせん何でも枠にはめて意思決定し行動すれば上手くいくと思いがちな節があるのではなかろうか。これは偏見かもしれないけど。
一人間に対しても「この人はこのタイプだから、こういうアプローチ方法を取ればよい人間関係が築ける」と思って接している感がプンプンして、何だかとても薄っぺらいし、小馬鹿にされてるような気持ちがする。固有名詞ではなく、一般化された人間Aとしか見られていないような。その人間Aは法則Bをもってすればちょろいものよ、という謎の上から目線を感じるところもあり、嫌な感じだな~と思うのだ。人間それほど単純じゃないし、わかったような物の言い方をするなほっといてくれ!!!!と、自意識をこじらせたセブンティーンのような気持ちでミクスチャーロックを聴くのです。
Red Hot Chili Peppers - Stone Cold Bush - YouTube
まあ、ここで冷静に「そういう理屈やテクニックを使ってまで私とどうにか上手いことコミュニケーションしようとしてくれるのか、ワッハッハかわいいやつじゃのう」とか勝手に思って自己解決できたらもう良いんですけどね。
ビジネスであればその場をなんとなくうまいことやり過ごすくらいの薄っぺらい感じでも、割り切れるから問題ない。ただ、対人間になった時にテクニックで人間関係をどうにかしようとしてるうちは、なんとなくその場はやり過ごせるけど、ワクワクしないし、心でわかりあえないし、心許せる楽しい関係は作れないのでは、と思っている。わかりあうのも、心を許せるのも、楽しいやつだなと思えるのも、なんか理屈じゃ説明できないし、気付けばそうなってたという結果論に過ぎないことが多い。再現性が無いからこそ、すごく大事にしたいと思うし唯一無二の価値を感じる。どうなるかわからないからこそ、おもしろくて良い関係になれるのかもしれない。
あと、なんとなく雰囲気とか直感でわかる部分って、自分の中では大きい気もしている。それこそ自分の経験則を信じるしかなく、生身の自分の人間力が問われるところ。ある程度、本や人の経験談から学べるフレームワークみたいなものはあるかもしれないけど、法則Bで成り立つ人間Aという解釈では理解しきれない何かがあるし、最終的には何だかんだ、そういう理屈が敵わない世界が、私はすきです。
短い人生、括っている暇はないぞ。
食とLOVE
2015年になりました。昨年末に、久々に大学の友人たちと忘年会がてら新宿に飲みに行きました。20代も折り返しの男女3人。語ることは愛やなんやってわけで、どういう時に「この人好きだなー」とか「愛を感じるなー」と思うか、という話題に。
私が、「これ、参考になるかわからないけど」という前置きをしつつ話した、この人好きだなーって思ったエピソードはちょうど先日のクリスマス直後の休日。毎年クリスマスはチキン料理を作ることが定番になっていて、2年前はジャークチキン、1年前はタンドリーチキンを作って食べていました。
例年通り、「今年はチキンをどうやって食べようか」、って話をしていた時に「鶏料理だから、水炊きにしようか」って言われたんですよね。その時私は全身全霊で、「この人好きだ!!!」って思いました。
っていう話をしたら友人には、「本当、まったく参考にならん!!」って言われて、まあそりゃそうだって話なのですけど。いちおう解説しますね。
まず、クリスマスにチキン料理って言ったら、なんかこうワインとかシャンパンに合って、フォークとナイフで食べる系を想像するじゃないですか。いちおう前回、前々回はそんな具合の鶏料理だったし。そこで「水炊き」って選択肢が出るとは、まさか思わなかった。すごい驚いたけど、でも確かにまぎれもないチキン料理だし、寒い冬にぴったりだしきっと美味しいし食べたいわという納得感、そしてそんな発想に超センスを感じて、「好きだ!!」って思った。
つまり、「サプライズ」と「しっくり感」と「センスの良さ」を見事なバランスで実現してくれたのだった。これ、けっこうすごいことだと思う。で、この3要素にハマる感覚がぴったり合うっていう前提が、相手のハートを掴む上で重要なのではないだろうか。
しかし注意が必要なのが、この3要素を満たす中身は人それぞれ違うから、単純に世の中のみなさんにクリスマスに水炊きを勧めても誰も幸せにならない。実際、この水炊きエピソード、いろんな人に自慢するんですけど、みんな「??」って反応になってしまうので、最終的に混乱させてごめんなさいという気持ちになります。逆に、高級リゾートホテルでクリスマスを迎える0時になった瞬間にプロポーズしたエピソードを聞いたけど、私はまったくピンと来なかった。
だから、「この人好きだなー」って思うのも、自分にとっちゃ確固たる基準があっても、それが万人に通用することはなかなかないんだな、ということを改めて感じた次第です。そんな共感を得にくい世界の中で、「好きだ!」と思ったり思わせることができる相手と出会うのって、本当奇跡的なことなのだ。
という具合に、人それぞれにいろんな愛の形があるわけだけど、ひとつ新宿東口の居酒屋で、私が思う「愛を感じる瞬間」について、友人たちが「なるほど」と言ってくれたことがありました。
その場にいてもいなくても、美味しいごはんを食べる・作るのその先に誰かを思い浮かべたのなら、それは最高のLOVE
— スドウパン (@nahosoo) 2014, 12月 31
「これおいしい!あの人にも食べさせてあげたい!」「あなたのためにおいしいごはん作るから一緒に食べよう!」って思ったり言ったりするのって、すごい愛情表現だと私は思うんです。
そもそも食っていうのは、人間の生命活動に欠かせないものです。生きるため自分の食欲を満たすための食事であったり自炊であったりするわけだけど、そこで自分の欲求を二の次に、自分以外の誰かにも「食べてほしい、きっと喜ぶ」と思えるって、その人にそれなりの愛情がないと湧いてこない発想なんじゃないかなあ、と。
まあ実際に一緒に食事する上では、そんな複雑なこと考えないだろうけど、きっと根源にはそんな愛情があるからこその食卓な気がしています。
と、新年早々、「食とLOVE」について熱く語ってしまいました。2015年も好きな人々と好きなごはんを楽しくワイワイ食べられたら、これほど幸せなことはないなーと思っております。
(TM NETWORK - Get Wild : 水炊きパーティーもいいけど、YouTube鑑賞会も楽しい)