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YAMA OTO BEER

夏は山の麓で音楽とビールを味わいたい

家族

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なんかいろいろあってわーわーしている間に2016年は終わったし2017年が始まった。

わーわーしてる間に起きたひとつの出来事としてあったのは、結婚だ。まさか自分がなーと、我ながら意外なような信じられないような気持ちだけど、左手薬指にはきちんとかっこいい指輪がはまっている。

なんかいろいろあったけど、相変わらず年末には実家に帰って家族とグダグダお酒を飲んで美味しいもの食べたり作ったりして、のんびり過ごしている。相変わらず、と言える状況は極めて貴重なことだと思う。

ぎゅっと詰まった怒涛の学生生活があった後、親元を離れて上京してからたまに帰った時の家族の時間は、のんびりと穏やかで、しかし毎回時の流れの早さを実感するようになった。たまに、の間に進む時間は、中高生の頃の毎日単位で進むよりも確実に長く大きく進捗しているのだから仕方ない。

親も自分も歳をとったし、若くはないと思うことが増えた。するとこうして家族が集まれる時間なんて、あと数える程しかないんじゃないかと思えてくる。かなしいけど、きっと数える程なんだろうと思う。毎日学校から家に帰って永遠に続きそうだったあの時とは違って。

でも、今になったからこそ、家族の時間をのんびりと穏やかに過ごす豊かさを痛いほど感じられるし、嬉しくて楽しくて仕方がなくて、大事にしようと思える。そういう家族の大事さを感じているうちに、自分も新しく大事にしたい家族を手に入れたし、自分の育った家庭のような場を自分も作っていくぞとやる気に溢れたりできている。

帰る場所が増えた。今まで生まれ育った家庭と、これから築いていく家庭。どうなるかわからないし、どうにでもなっていくんだろうけど、新しい安心感を味わいながら慣れ親しんだ部屋のベッドで、昔のようにラジオを聴きながら眠ろうと思う。

テレビ最高

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テレビ離れ、みたいに言われる昨今ですが自分はテレビ今でも大好きですよ。もちろん見る番組によるのだけど、いくつものテレビ局でいくつもの番組が放送されている中で、いくつか自分が好きな番組が定期的に放送されているだけで、既に大満足だ。

 

最近の番組の中でお気に入りは、「家、ついて行ってイイですか?」と「世界さまぁ〜リゾート」「タモリ倶楽部」「男子ごはん」「アナザースカイ」「孤独のグルメ」あたり。

基本的に、人間らしく平凡でくだらないようだけどリアルなドラマがあるような番組か、美味しいものが出てくるか、海外旅行するような番組が好きだ。たぶん、自分の日常や趣味と重ね合わせやすいから、というのがあるんだと思う。

 

平日は毎日たんたんと仕事をして働いて、真面目なことを考えてビジネスがウンタラカンタラと言ってる中で、もはやそんなのどうでもよくて、ただくだらなくも趣のある楽しい暮らしがしたいだけなのだ。そのためにお金を稼いでいるのだ。

そんなこと、表向きにはなかなか言えないけど、そのくらいのモチベーションでほどほどに(と言いつつ負けず嫌いなのでわりと真剣に)仕事をこなし(何者かになれる可能性を少し信じて)、特に目立った成果を示せるわけでもなく目の前のことをこなし、家に帰ってきたら面倒な何もかもを忘れて、ビールを飲みながら先に挙げたようなテレビ番組を見てヘラヘラ笑っている。

 

時には自分を投影したり、時には自分じゃ味わえないような他人の人生を眺めて感心したり、そんな感じの意識で自分はいつもテレビを楽しんでいる。これからも宜しくお願いします。

人生は短い、人の好きなものを馬鹿にしている場合じゃない

「好きなものはなんですか?」に対する答えは、言えない。

もちろん、好きなものはたくさんある。音楽とか料理とか写真とか散歩とかコーヒーとか。でも言えない。というか言わない。

なぜか。これは過敏に反応し過ぎなのかもしれないけど、誰かが何かを好んでいる様子に対して、そこはかとなく小馬鹿にしたような態度で揶揄する大人が身近にいるからだ。

たとえば、これはあくまで例えだけど、「インディーズバンドとか追いかけ自分は他とは違うと見せて、Instagramで映えるような料理を作ったりアーティスティックな場所に出かけたり、コーヒーは豆で挽きます(キリッ)とかこだわって見せて、空とかコーヒーの写真撮っちゃうんでしょ」のような。サブカルというか、意識高いというか、現代の世の中でよく揶揄されがちなカテゴリにぶちこんで、鼻で笑うような言い方をしている大人の様子を日々目の当たりにしているからだ。

実際のところ、その本人がサブカルなのか意識高いのかキラキラ女子なのかは知らんが、そうだとしても別にいいでしょ、っていつも思う。何を好きだろうと、その人の勝手だし、見えているのはあくまで表面的な部分だけだろうし、単純なサブカルや意識高いで片付かない動機があるかもしれないし、見かけの判断だけで勝手にカテゴライズするのもどうかと思うし、もしそのカテゴリどおりだったとしても、だから何になるのだ?別に何か迷惑をかけてるわけではないのなら、他人の好みを干渉する権利はまったくないでしょう?何様のつもりだ貴様!!!!!!

という気分になる。すみません、取り乱しました。自分も大人げないから、こういう小馬鹿にしている大人を見ると、いつも腹の中で憤慨している。

大人になると、学生の頃のように、何かに没頭したり我を忘れるほど何かを楽しんだり興奮したり、何かを表現したりしようとすることが難しくなってくる。残念ながら、感性は年と共に鈍化してくるのは、嘘ではないようだ。それは仕方ないとして、その代わり、自分が失ってしまったこの感覚を今もなお持ち合わせている人を見ると、いちいち突っかかって小馬鹿にしたり、人を見下すことに喜びを覚えるような大人と出会うことが増えます。それはたぶん、もうとっくにそんなものを卒業してしまった大人が、「まだそんな夢を見ちゃって幼稚だな、いい加減大人になりなさいよ」と、自分がもはやなくしたものを羨む意味も込めて、おせっかいをしているだけなのだと思う。だから若い皆さん、そういう大人の言うことは壮大に無視してよい。

もちろん、大人と学生は違うから、大人になったらある程度の分別はつけて世の中に向かい合う必要はあると思う。だからと言って、好きなものを諦める必要はないし、大人になった分きっとメリハリをつける技は身につけているだろうから、他人に迷惑をかけない範囲で思いっきり好きなものを楽しめばいい。時には、はしゃぐ大人にぶーぶー言ってくる大人がいますが、彼らはただ羨ましがっているだけだと思って放っておきましょう。好きなものを貫いて、表現を楽しんで毎日ワクワクしている人のもとには、同じくワクワクした楽しい大人たちが集まってくるはずだ。だからつまらぬ大人の言うことは、放っておきましょう。

これは自分に言い聞かせている。腹立ちをなんとか抑えようと必死だ。

もうひとつ愚痴を言います。人様の好きなものに干渉してくる大人は、そのくせ自分の嗜好や関心は正当化するし、それを理解できない・知らない年下をこれまた馬鹿にする癖がある。本当に何様だという気持ちですし、本当にくだらないどうでもいいという気持ちでいる。

とまあ、腹が立つ思いをぶちまけてみたものの、つまらぬ人のことなど忘れてしまうのが良いし、本気で怒ってるうちは負けだ。怒っても何か解決するわけじゃないし、自分の精神を消耗するだけで損なので、無になるのがいちばんだ。まずは自己防衛として、ガヤの存在を気にせずマイペースに好きなことを楽しむ術を身に着けていくのが、人生において重要だと思っている。そして、下手につまらぬ大人を刺激しないように、むやみやたらに好きなものの話を他人にしないほうが良いかな、と最近思っている。

なんか、自分もいい大人のくせして、青臭い話を書いてしまった。あとで後悔するかもな。