日々1989

日記です

人生は短い、人の好きなものを馬鹿にしている場合じゃない

「好きなものはなんですか?」に対する答えは、言えない。

もちろん、好きなものはたくさんある。音楽とか料理とか写真とか散歩とかコーヒーとか。でも言えない。というか言わない。

なぜか。これは過敏に反応し過ぎなのかもしれないけど、誰かが何かを好んでいる様子に対して、そこはかとなく小馬鹿にしたような態度で揶揄する大人が身近にいるからだ。

たとえば、これはあくまで例えだけど、「インディーズバンドとか追いかけ自分は他とは違うと見せて、Instagramで映えるような料理を作ったりアーティスティックな場所に出かけたり、コーヒーは豆で挽きます(キリッ)とかこだわって見せて、空とかコーヒーの写真撮っちゃうんでしょ」のような。サブカルというか、意識高いというか、現代の世の中でよく揶揄されがちなカテゴリにぶちこんで、鼻で笑うような言い方をしている大人の様子を日々目の当たりにしているからだ。

実際のところ、その本人がサブカルなのか意識高いのかキラキラ女子なのかは知らんが、そうだとしても別にいいでしょ、っていつも思う。何を好きだろうと、その人の勝手だし、見えているのはあくまで表面的な部分だけだろうし、単純なサブカルや意識高いで片付かない動機があるかもしれないし、見かけの判断だけで勝手にカテゴライズするのもどうかと思うし、もしそのカテゴリどおりだったとしても、だから何になるのだ?別に何か迷惑をかけてるわけではないのなら、他人の好みを干渉する権利はまったくないでしょう?何様のつもりだ貴様!!!!!!

という気分になる。すみません、取り乱しました。自分も大人げないから、こういう小馬鹿にしている大人を見ると、いつも腹の中で憤慨している。

大人になると、学生の頃のように、何かに没頭したり我を忘れるほど何かを楽しんだり興奮したり、何かを表現したりしようとすることが難しくなってくる。残念ながら、感性は年と共に鈍化してくるのは、嘘ではないようだ。それは仕方ないとして、その代わり、自分が失ってしまったこの感覚を今もなお持ち合わせている人を見ると、いちいち突っかかって小馬鹿にしたり、人を見下すことに喜びを覚えるような大人と出会うことが増えます。それはたぶん、もうとっくにそんなものを卒業してしまった大人が、「まだそんな夢を見ちゃって幼稚だな、いい加減大人になりなさいよ」と、自分がもはやなくしたものを羨む意味も込めて、おせっかいをしているだけなのだと思う。だから若い皆さん、そういう大人の言うことは壮大に無視してよい。

もちろん、大人と学生は違うから、大人になったらある程度の分別はつけて世の中に向かい合う必要はあると思う。だからと言って、好きなものを諦める必要はないし、大人になった分きっとメリハリをつける技は身につけているだろうから、他人に迷惑をかけない範囲で思いっきり好きなものを楽しめばいい。時には、はしゃぐ大人にぶーぶー言ってくる大人がいますが、彼らはただ羨ましがっているだけだと思って放っておきましょう。好きなものを貫いて、表現を楽しんで毎日ワクワクしている人のもとには、同じくワクワクした楽しい大人たちが集まってくるはずだ。だからつまらぬ大人の言うことは、放っておきましょう。

これは自分に言い聞かせている。腹立ちをなんとか抑えようと必死だ。

もうひとつ愚痴を言います。人様の好きなものに干渉してくる大人は、そのくせ自分の嗜好や関心は正当化するし、それを理解できない・知らない年下をこれまた馬鹿にする癖がある。本当に何様だという気持ちですし、本当にくだらないどうでもいいという気持ちでいる。

とまあ、腹が立つ思いをぶちまけてみたものの、つまらぬ人のことなど忘れてしまうのが良いし、本気で怒ってるうちは負けだ。怒っても何か解決するわけじゃないし、自分の精神を消耗するだけで損なので、無になるのがいちばんだ。まずは自己防衛として、ガヤの存在を気にせずマイペースに好きなことを楽しむ術を身に着けていくのが、人生において重要だと思っている。そして、下手につまらぬ大人を刺激しないように、むやみやたらに好きなものの話を他人にしないほうが良いかな、と最近思っている。

なんか、自分もいい大人のくせして、青臭い話を書いてしまった。あとで後悔するかもな。