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YAMA OTO BEER

夏は山の麓で音楽とビールを味わいたい

ふと思ったこと

仕事でもろもろのデザイン・制作関連をお願いしていた個人事業主の方がいて、今日出来上がったものを見に行ったら、とてもすてきなものを用意してくれた。準備するにもいろいろお手数をかけていて、今日も1日完成までに長い時間を費やしてもらっていたので、改めてお礼を言ったら「いやいやいや、これもお仕事ですので!」と腰を低くして言われた。なんか、ハッとした。

たぶん、個人でデザイン業やっているとクライアントから無茶を言われることも多いだろうし、直前でバタバタと修正や追加作業が入ったり、やってらんないよーってことも何かとちょくちょくあるのだと想像している。けど、彼はなんだか愉快というかユニークなキャラで、ほがらかなんですよね。楽しそうとも言えるのか。いや、絶対疲れとかあると思うんだけど、こちらが依頼していたものをより良くしようという意気込みがあって、ギリギリまでこだわった提案を積極的にしてくれて、今夜も遅くまで作業をしてくれる予定で。でも、「お仕事ですので!」って言えてしまうのがすごい、と思った。

考えてみれば当たり前か。仕事は、お金を稼ぐために、お金をもらってするものだ。遊びではない。お金をもらう分、責任を持ってクライアントなり会社が求める成果物を出さなきゃいけない。本来そういうものだ。なのになんかそういう当然のことも最近忘れかけていて、もっと落ち着いた環境で働きたい!みんなビジネス意識高すぎて苦手!みたいな、本来どうでもいいはずの側面にばかり注目して、不満ばかりで勝手に働きたくない病を発症していた。これ全然はたらくことの本質じゃないな。

仕事や会社はお遊びサークルじゃないのだから、「お仕事ですので!」と割り切って、期待されている成果物を出すためにがむしゃらになるのが普通っちゃ普通だ。そうだった。ここ最近よく言われるような働きやすさ、みたいなものももちろん大事だけど、そりゃそういうのがあったに越したことはないけど、そればかり求めて仕事や会社に余計な期待をしたり理想を押し付けようとしても仕方ない。

基本は「お仕事」なのだ。お金をもらってやらせてもらうからには責任感と積極的な行動を起こしてより良い成果を出すことにだけ集中すればいいのだ。それ以上でも以下でもない。お金をもらいながら、わざわざ私の居心地が良い場所を用意してもらう義理がどこにあるか。

そんな前提があった上で、言うても仕事は人生の大半を占めるから、自分個人の人生と一続きで楽しめるようなことを仕事にできればいちばんいい。もしそうなれたら、心意気のある仕事ができるしそれを楽しいと思えるし、人生全体が充実するんだろう。

そして冒頭のデザインやってる彼も、そんな具合に「お仕事ですので!」と言いながら、思い悩んだりもするだろうけど割り切るところ割り切って、それでもなんだか楽しそうに愉快にほがらかに生きているんのかなーなんて思った。自分もそういう風になりたいなーとか思ったという話でした。